学習の四段階について

サウナに入っている時に急に思いついた持論を綴る。ドヤ顔で書いていくが、もしかしたら既にこの理論は世の中で提唱されているかも知れないし、これの上位概念的なものも掃いて捨てるほどあるかも知れないが、個人的にすごく腹落ちした考え方を記していく。

なぜ勉強するのか

勉強は人生の目的そのものだと思う。何かを創造することや、金を稼ぐこと、出世することなど、人生における多くの目標があるが、結局最後は全員死ぬ。もちろん後世の人の暮らしを良くする発明や社会変革などは多数ある。しかし、死んだらそれらの恩恵は自分の物ではなく、社会のものとして返納することになる。そうであれば生きているうちにこの借り物の体を堪能して死ぬのが良いのではないかと思った。(もちろん社会のために働くという利他主義ほど尊いものは無いし、過去の人々の影響を多分に受けて我々の生活が成り立っていることに対して感謝の気持ちを忘れてはいけないが)その上で勉強という行為そのものが、人生におけるこの上ない幸せだと思う。自分の狭い視野を広げていく感覚は驚きや悲しみ、高揚感や無常感を味あわせてくれる人生のフルコースとも言える。

学習の4段階について

学習の中にはインプットとアウトプットがある。インプットとアウトプットは更に2段階づつに区切ることが出来る。

第一段階:観察

何かを見ること、本を読むこと、情報に触れること、五感を使って得た情報は観察の対象になる。幅広く物事を観察することで、自分の中に蓄積されたデータベースを拡大させていく。

第二段階:咀嚼

咀嚼とは観察したものを自分の過去の経験値から構築されたフィルターを通して見ることである。咀嚼をすっ飛ばしたインプットから出てくるアウトプットは借り物の知識の域を出ない。

第三段階:発信

SNSでの発信、ブログでの発信、社会の中で出会う人との対話において、自分の咀嚼を経た観察を発信する。事業家であればそれらをプロダクトやサービスに落とし込んだり、社内外のプレゼンに活かしたりする。他愛もない家族との会話でも発信の機会は訪れる。インプットはアウトプットを経て初めて血肉になるとよく言うが、インプットを血肉にする上で必要なプロセスである。

第四段階:フィードバック

他人に発信すると様々なフィードバックが来る。無反応、無関心、ロジックの崩壊による修正案など様々なフィードバックが来るだろう。この時に大切なのは謙虚であること。無反応無関心だからと言って相手を無知な人間だと侮ってしまうとここで学習のサイクルは終了してしまう。考えを修正された時にそれを全面的に拒もうとして塞ぎ込んでしまってもそこで学習のサイクルが止まってしまう。相手の反応自体がそのまま第一段階の観察へと舞い戻り、それらを咀嚼した上で発信に繋げていくことで、更に自分の知識が洗練されていく。このプロセスを経た上で、再度第一段階の観察に戻る。

勉強は人生を楽しむ為の手段であり目的

自分が常に学習のどの段階にいるのかを意識することで、学びの体系化の促進につながるのではないかと思った。個人的にこのような考えに至った経緯は自分の仕事上で経験した事柄や下記の著書を読んだことが影響しているのではないかと思う。

反応しない練習

amzn.to

仏教の思考方法をベースとした自己啓発書。世俗的なものに対して心が反応してしまうことを客観視することで、自分の感情をコントロール出来るようになるのだという学びがあった。自分の感情が揺れ動いている時はなぜ感情が揺れ動いているのかを因数分解し、一歩引いた視点で対処すると仕事や生活での心理的ストレスを皆無にできる可能性があるのではないかと感じた。

現代病「集中できない」を知力に変える 読む力 最新スキル大全―脳が超スピード化し、しかもクリエイティブに動き出す!

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直近で発売された佐々木俊尚氏の新著。インプットの効率化の仕方について勉強になった。SNSスマホの普及で現代人の集中力がなくなったと批判されることも多いが、散漫な集中力と限られた集中力リソースを使って行うことで明確に線を引き、学習効率を最大化させる方法などが勉強になった。