ホリエモンの「我が闘争」を読んだ感想

 

我が闘争 (幻冬舎文庫)

我が闘争 (幻冬舎文庫)

 

 

本書は堀江貴文氏が福岡県の田舎町で生まれてから、時代の寵児と呼ばれるまでの大物になり、ライブドア事件を経て収監されるまでの半生を自ら振り返った自叙伝となっている。

 堀江氏の著作の中で最も代表的な作品の一つに「ゼロ」があるが、「ゼロ」は半分自叙伝で半分自己啓発と言うような内容であったのに対し、「我が闘争」では堀江氏が自らの人生を振り返り、その時に考えていたこと等を振り返るというような構成になっており、「ゼロ」以上にこれまでのホリエモンの人生が具体的に描かれている。

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

 

我が闘争』を読み、興味深かった点を幾つかピックアップし、まとめていきたい。 

自由を掴み取るための闘い

本書のタイトルでもあるように、堀江氏の半生は常に自由を掴み取るための闘いであった。刺激のない田舎の生活や両親との感覚のズレから脱出するために闘った福岡在住時代。大好きなインターネットと出会い、世界一大きな会社を作るために奔走したオン・ザ・エッヂ時代。社名をライブドアに変更し、旧態依然としたプロ野球業界やテレビ局、政界との闘い。ライブドア事件では検察とも闘った。これらの大きな闘いに彼は破れ、傷つくが、当時一世を風靡したITの革命児として、社会に大きな爪痕を残した。既得権益VS堀江貴文という構図の元、彼は常に面白い世の中を見るため、自由な世界を創るために闘っていた。

目の前の瞬間に集中し続けた人生

パソコンや漫画、頭をつかう事など幼少期からハマってしまうと寝食を忘れてしまうほどだったという堀江氏。大学時代は麻雀や競馬などにもハマり、絵に描いたような堕落した大学生でもあったようだ。その後、真人間に戻ろうとパソコンを活かしたアルバイトを通してインターネットを知り、インターネットの可能性に熱狂し、真っすぐ進んだ結果ライブドアという巨大なIT企業の社長となっていたというのが彼の人生である。彼の人生には打算や権利への憧れがない。そもそも社長という立場にも興味がないらしく、初めて企業をした際は当時付き合っていた彼女を社長にするというプランもあったほどだそう。目の前の楽しいことを無邪気に追いかけるという彼のスタンスは、その後のITのブームに乗っかって一攫千金を狙ったIT社長達とは大きく異る。

視点の変化

本書を読んでいた感じたのは、大学時代からライブドア時代にかけての堀江氏の視点の大きな変化だと思う。それまでの堀江氏は自分の半径数メートル以内での楽しさに没頭する日々であったが、インターネットに触れて以降、彼の視点は世界規模になったように思う。インターネットの登場が必然的にそうさせたのかもしれないが、ライブドア時代の彼の闘争は自分のみたい世の中を作りたいという大きな野望が動機になっている。出所後の今も、株式会社ではない形で、自分の見たい世界を実現するために、オンラインサロンを運営したり、予防医療の啓蒙活動を通してより多くの人の健康寿命を伸ばす活動やインターネットの次の革命として、宇宙事業に取り組むなど自分以外の人の生活をより良くするための活動も増えているように思う。

まとめ

我が闘争』から見られる彼の半生も、釈放後の彼の動きを見ても、彼の人生は一貫して「今」に集中して生きている。本書の中にもあるように、「死」への恐怖が人一倍大きい彼にとって、今を最善のものにするという生き方しか彼には出来ないそうだ。

 

我が闘争』というネーミングセンスも良さも勿論のこと、闘争を通して最後に彼が学んだ事は「他人の気持ちは理解できないが、他人の気持ちを想像する必要がある」ということだった。闘争の果てに「思いやり」を見出すというのがなんとも感動的な結末である。