『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』を読んだ

2004年から2011年まで中日ドラゴンズの監督を務めた落合監督番記者である、鈴木忠平氏の著書である、『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』を読んだ。

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落合監督といえば、派手な野球も特別なファンサービスもすることのない不気味な監督というイメージがあると思う。しかし実力は確かなもので、就任期間中の全ての年においてAクラス(3位以上)を達成した実力派監督。

彼の哲学は常に一貫している。目的達成のために必要な事を淡々とやる。契約社会をベースに、プロ監督としての役割を線引きし、選手自身のプロ意識を育むための余白を作った。

プロ意識を持つこと

野球選手としての落合博満

中学時代からエースで四番と才能を発揮していたものの、高校・大学ともに理不尽な体罰や非合理な体育会系の慣習に嫌気がさし、練習には通わなくなった。しかし大会前になると野球部に呼ばれ、活躍した。プロ入り後も、中日時代に星野監督による全選手の体重減量の方針に対して、「自分のベストな体重は自分がわかっている」と反発を見せた。プロなのだから自分の体は自分で責任を持つ。彼はいつでも孤独で、集団の中における常識を疑い、個人としての正義を貫いた。練習も自己流で行い、自分の頭を使って野球理論を構築し、三億円プレイヤーへと上り詰めた。

選手へのプロ意識の植え付け

監督に就任すると、彼はキャンプ初日から紅白戦を行うという球界の慣習を無視した取り組みを行う。これにより選手がオフ期間中どのように過ごすべきかを自分で考えさせることにより、自主性を育んだ。鬼のようなノックも、怪我をした時も、選手が自ら「休みたい」と言わない限り休ませない。自分の成長も自分のコンディション管理も選手の責任。使えない選手は使わないという明確な方針と、「監督の仕事はクビを切ること」という己の責務を明確にした。

プロ意識を求めるのは選手だけでなく、コーチや記者に対しても同様だ。落合は投手の起用に関し、就任初戦以外は全て森繁和投手コーチに一任した。彼は毎日誰が登板するかを直前まで知らなかったらしい。記者に対しても、自分で判断して、1人で取材に来た著者は彼しか知り得ない落合の胸の内を垣間見ることができた。

勝利への最短距離の逆算

圧倒的な練習量

監督に就任すると落合は中日を12球団の中で最も練習量の長いチームにした。まずは体に技術を染み込ませることが勝利への最短距離だという信条からきている。落合は野村克也監督とは真逆のタイプでミーティングはほとんど行わない。落合自身の思想を浸透させて勝つのではなく、選手の才能を目覚めさせて勝つというスタンスが垣間見える。

冷酷な打ち手

落合はベテランの谷繁でも、和田でも、使えなければ即座に変える。勝つためなら冷酷で、シンプルな打手を淡々と打つ。

日本シリーズ優勝決定戦にて、完全試合を展開していた山井を9回で岩瀬に変えた。山井自身からの申し出によるものだったようだが、勝利のためなら9回は岩瀬というチームの勝ちパターンが浸透していたからこそ、山井は申し出たのだろう。

秘密主義

勝つためにファンサービスも犠牲にした。彼は報道陣へ多くを語らなかった。初年度はコーチ陣も含め誰一人クビにしなかったが、一年目終了時、コーチも含めクビになったのは、チームの内部情報を外に漏らした者だった。

まとめ

彼の思想は野球以外の領域でも参考になる部分が多々あった。プロ野球選手として飯を食っていくことの意味を説き、自分で生きる術を自分で考え抜けという教えは、現代社会に生きる全ての人にとって、必要不可欠なOSなのではないだろうか。

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