「ほのほ」(2005,スピッツ)における主人公の狂気
今日はスピッツの「スーベニア」というアルバムに収録されている「ほのほ」という曲に関する分析をしていく。
前回のエントリーにも書いたようにスピッツの曲には死の臭いが強く漂っている曲が多いという内容を述べたが、今回取り上げる「ほのほ」(読み方は「ほのお」)もまさに死というテーマが後ろにある気がしてならない。
イントロのギターのリフの切迫感や序盤の歌詞にもある
みぞれに打たれて 命とがらせて
煤けた街で探し続けた
崩れそうな橋を息止めて渡り
「気のせい」の先に見つけたものは...
(ほのほ、2005)
というフレーズはあたかも主人公が今煤けた街で死の狭間にいるような情景を思い起こさせる。
歌詞に登場する主人公の目的はただ一つである。サビにも出てくる「君を暖めたい」というのが彼の唯一の目的なのである。煤けた街で「君」を探し続けている主人公のイメージがぼんやりと浮かんでくる。主人公にとっての「君」とは既に他界してしまっており、体からは熱が奪われてしまった状態なのかもしれない。そんな「君」の消えてしまった魂を探して主人公は煤けた街探し続けているのではないだろうか。そして「気のせいの先」に君の存在を感じ、自らも赤い炎になることを決意する。冷めてしまった「君の魂」を暖めるために主人公は炎となり自らの命を投げ「君」を追いかけて死を選び別の世界へと旅立っていく歌なのではないかと私は感じる。アウトロの力強いメロディーは主人公が自らの選択を自ら祝福しているかのような、世間的に見ると間違いを犯しているであろう主人公であるが、そんなものは何も見えず「君を暖めたい」という思いだけで別の世界へと飛んでいく主人公の想いが感じさせられる。
スピッツの歌詞において主人公は決して善良な市民ではないと思う。
クズと呼ばれても笑う
(8823、2000)
夜を駆けていく 今は撃たないで
(夜を駆ける、2002)
正しいと信じた 歩みが全て
罪なこと 汚れたことだとしても
(Sj,2016)
など世間的に見ると非道徳的であったり、罪なことであったとしても主人公と君との世界におけるルールが彼にとっては絶対でありその他は関係がないのである(もしかしたらそのルールは「君」にすら合意を得ておらず彼の独りよがりのルールなのかもしれない)。そんな狂気にも捉えられる力強さやそれを表に感じさせない草野正宗の甘い声もまたスピッツの魅力を強く惹き立てている。
「ほのほ」はそんな二人だけの国における主人公の強すぎる程の感情がむき出しになった曲なのである。
余談だが「スーベニア」のジャケットにある赤い背景で亀に乗った人が「ほのほ」の主人公なのではないかと妄想したりしている。