ナサケモノの日記

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『逆説の日本史』における歴史考察の手法とナンパ師に必要な視点

最近、井沢元彦氏の『逆説の日本史』を読み始めた。ただ書評をするより、このブログらしく、ナンパに絡めた視点からこの本を見ていくと面白いのではないかと考え、こんな記事を書いてみた。

逆説の日本史〈1〉古代黎明編―封印された「倭」の謎 (小学館文庫)

逆説の日本史〈1〉古代黎明編―封印された「倭」の謎 (小学館文庫)

 

井沢氏の考える日本歴史学の3大欠陥

井沢氏は1巻の冒頭で日本歴史学の3大欠陥について指摘している。その3大欠陥とは以下の3つである。

  1. 呪術的側面の無視ないし軽視
  2. 史料至上主義
  3. 権威主義

1つ目は宗教的視点が弱まった現代人の視点から歴史を見すぎているということだ。古代では自然災害が起きる原因は、時の統治者の不徳によるものだと考えられていた。その他にも聖徳太子を始め、「徳」という文字が死後、名前に与えられた人物は無念の死を遂げた人物であり、人々が祟りを恐れたからそのような名前を授けられた等、筆者の独特な視点から事象に対する考察がなされている。

2の史料主義に関しては文字として残されている情報こそ最も信用に足る事実として捉えているという点だ。その時代の人にとって当たり前すぎること、目上の人間に対して気を遣ってしまい書き残せないことと言うものはたくさんある。文字に残っているものが全てであり、信用に足ると考えるのは安直すぎるのではないかというのが筆者の意見だ。

3つ目に関しては、どの学会においても同じことかもしれないが、権威のある教授の研究成果に対して、下の世代が意義と唱えられないという問題である。

今回の記事で取り上げたいのは2の史料至上主義だ。史料至上主義を恋愛に置き換え、ナンパ師に必要な視点について考えてみたい。

史料至上主義と恋愛における致命的ミス

史料至上主義を恋愛で例えるなら、相手の言う言葉の情報のみを信じるという行為である。しかし言葉はいくらでも偽ることができる。嘘をつくことは男女問わずあると思うが、女性は時に自らを防衛するため、又は男性をテストするために嘘をつく。友達には「あの男ありえない」と言いつつも、あえてその男に脈のありそうな言葉をいってみたり、本当は明日の予定などないのに、明日は早いと言ってみたり笑 しかしそれが本当か嘘かというのは一つの情報に過ぎない。それが嘘だとわかれば、なぜそのような嘘をつくのかを考える必要がある。

ここで『逆説の日本史』に話は戻す。世界中のどの神話にも共通することだが、神々のストーリーはほとんどが嘘である。しかしそれが嘘か本当かというのは実は重要ではない。その例として本書では大国主の命による国譲りの話が取り上げられている。国譲りの神話では、大国主の命が元来日本列島を統治していたが、高天原(神の世界)にいた天照大御神は自らの子孫がこの国を統治すべきと判断した。天照大御神は使者を送り、国を渡すよう要求し、大国主の命はそれに応じ、自らは「長(とこしえ)に隠れた」という物語である。この話が真実出ないことはほぼ明白だ。時の統治者が「国を譲れ」と言われて、素直に国を譲るはずがない。そこにはいくつかの戦いがあったはずだ。しかし『古事記』の神話では恐らく修正や編集が加えられこのような神話になっている。そこには大国主の命による祟への恐怖と、天照大御神の子孫、つまりは天皇家の絶対的権威を示すという効果がある。つまり見え透いた嘘にはその嘘をつく理由があるということだ。

以上を踏まえて考えると、女性による嘘に出会った時、なぜその嘘をつくのかを考えるべきである。友達には「ありえない」と言いつつも、脈の有りそうなセリフを吐くのは「興味のない男に追われている私」という構図を作り、承認欲求を満たしているのかもしれない。であれば承認欲求を満たさせるために更に攻めるべきか、あえて引いてみて食いつかせたところで承認欲求というご褒美をあげるべきなのか、などの選択肢が見えてくる。口では「私に構わないで!」と言っている女の子は実は男に構ってほしいと思っているのかもしれない。なので口で言うことだけを信じていては、相手を満足させられない。よく「言葉ではなく行動を見ろ」というが、まさにその通りで、相手の言葉は一つの情報として考えておき、真に受けすぎないことが大切だ。

まとめ

相手の行動から潜在的ニーズを見るということは恐らくビジネスでも人間関係でも同じだと思う。なぜ一軒目を出る前に口紅をつけ直したのか、なぜ「ダメダメ」言いながらパンツを脱がす時に腰が浮いているのかなど常に相手の潜在的欲求を見極めることで相手に満足を与えることができるのではないだろうか。