ナサケモノの日記

Twitter: @nasakemono2016

スピッツの「正夢」の歌詞の意味を考察してみた

f:id:Dorgan:20170410222603j:plain
今日はスピッツの「正夢」という曲の意味を考えていく。
 
この曲がシングル曲の割にはそこまで知名度が高くない。
 
しかし僕の中ではスピッツの代表曲の一つと言ってもいいんじゃないかと思うくらい名曲だと思いう。
 
僕は「正夢」に対して二つの説があると思う。どちらの説にも共通するのは、現段階で主人公は彼女と離れ離れになってしまっているという事。
この軸から「正夢」の歌詞の意味を考察していきたい。

復縁を目指す青年の歌?

「正夢」というのは主人公が昨日見た夢のことなのだろう。
目が覚めると青年は寝癖も直さずに商店街を駆けていく。
届くはずがないとどこかで思いながらもほんの少しの可能性に掛ける主人公。
ハネた髪のまま飛び出した 今朝の夢の残り抱いて
冷たい風体に受けて どんどん商店街を駆けぬけていく
「届くはずない」とかつぶやいてもまた 予想外の時を探している
恐らく主人公は相手に多くを求めすぎたのだろう。そんな単調な関係に嫌気がさしてとうとう彼は別れを切り出してしまった。
 
しかし彼はある日夢で彼女と小さなプールでじゃれ合うような小さな幸せがそこにあったことに気づく。
どうか正夢 君と会えたなら
何から話そう 笑ってほしい
小さな幸せ つなぎあわせよう
浅いプールでじゃれるような
ずっと まともじゃないってわかっている
笑ってほしいという素朴な願いや浅いプールでじゃれるというかわいらしい表現は何とも草野さんらしい。
そして最後のまともじゃないってわかっているという基地外感もまたスピッツの持ち味なのである笑
 
例え大げさでもいいから本音を伝えあって、うわべだけの関係ではない本当の信頼関係を二人で気づいていきたいと主人公は考える。
デタラメでいいからダイアル回して 似たような道をはみ出そう
という言葉選びが秀逸である。 

この曲も「死と生の架け橋の歌」なのか?

もう一つの解釈はスピッツ工学(今勝手につけた笑)の定番である死と生の話。
 
青年の恋人はすでに他界してしまっていると考えてみるとこの曲の聴こえ方が変わってくる。
あのキラキラの方へ登っていく
「キラキラの方へ登っていく」というのは純粋な恋愛をする上の喜びなのかもしれないし、まだ見たことのない死後の世界を草野さんは「キラキラ」と表したのかもしれない。
いつか正夢 君と会えたら 打ち明けてみたい 裏側まで
愛は必ず最後に勝つだろう 
そういうことにして 生きてゆける
あのキラキラの方へ登っていく
「愛は必ず 最後に勝つだろう」ここで主人公は感情に任せてかなり強引でかつ非合理的な結論に対して腑に落ちる。
 
が、しかし彼はここでこうも言っている。「そういうことにして生きてゆける」ここで完全に「生と死」論は破たんしてしまったw
 

結論

という事で今回の考察では「生と死」論は機能しないことが分かった。
 
しかし長年スピッツを聞いてきた一ファンからすると、どうしてもこの可能性を考えてしまうもの笑
 
スピッツの曲の主人公は実は装飾に見せかけて肉食で強引な男子が多い。「正夢」の主人公もそうなんだろう。
 
そしてこれらの主人公たちは度々危ない橋を渡る。「正夢」もそう。傷ついて終わってしまう可能性を孕みながらも彼らは深く黒い谷を飛び越えようと試みるのだ。
 
それがまるで生の世界と死の世界を行き来するほどの無謀さがあるように見えてしまう。そんな怖いものなしの無双状態に入った主人公に我々スピッツファンは惹かれてしまうのかもしれない。