ナサケモノの日記

Twitter: @nasakemono2016

今の大学の仕組みはいつまで続くのか

今回からシリーズ物として「教育」について考えていきたい。

私は現在大学生として学校に通っているが、サプライヤー側にとって、大学というのは本当によくできた仕組みだと思う。大学は私の親世代から不真面目な学生で満ち溢れている。「本当に大学の4年間は無駄なのでは」と疑問に感じている人はたくさんいるはずだ。

まず既存の大学に関する分析をしてみたい。

大学は学者の研究費を集めるために怠惰な学生を放置し、金だけ払わせるという仕組みを巧みに創り上げた。

ユーザー目線で考えると、あたかも大学に行くことは有意義なことのように感じる。大学は元々一部のエリートに開かれた門であった。これによって大卒は社会的な信頼を得ることができ、エリート街道を歩んでいくことが可能であった。この時代を経て大学は権威というフィクションを創り出すことに成功した。これによって大半の思考停止したユーザー側はろくに勉強もしたくないのに(もちろん研究目的で大学に入る人もいるが)大学に課金していく。

大学ほど成功したサブスクリプションビジネスはない。私立であれば月額十数万円支払わなければならない。そんな毎月十数万払うサブスクリプションビジネスなんて殆どないのではないだろうか。サブスクリプションモデルにおいて休眠ユーザーは必要不可欠だ。つまり金だけ払って大学に来ない生徒が一定数いてくれるおかげで大学は成り立っているのである。不真面目な生徒の両親がコツコツと学費を払ってくれるおかげで教授たちは研究に勤しむことができ、学術的な発展につながってきたという側面もなくはない(研究者がこの権威による恩恵に甘えすぎていることも問題ではあるが・・・)。つまり大学は授業のクオリティなんて上げたところで何もメリットがない仕組みになってしまっている。

では大学という仕組みはいつまで続くのだろうか。私は大学という仕組みの再編はそう遠くないと思っている。5年から10年で大学のあり方は大きく変わるのではないだろうか。若者の数が減っているにも関わらず、大学の数が増えているというのは明らかにおかしい。文科省の調べによると1955年には大学の数は228校であったのに対し2015年には779校に増えている。実際に受験者数が定員割れする大学も多く出てきている。

法科大学院 43校で定員割れ 受験は最低更新(毎日より) | 会計ニュース・コレクター(小石川経理研究所)

まずはこういった過剰供給がなされた大学が徐々に淘汰されていくだろう。いわゆるFラン大学のような大学は徐々に受験者数が減り、廃校になる。

更にもう一つ気になるのは企業も学歴フィルターだけですり抜けられるような採用をしなくなるのではないかという点だ。大量に高学歴人材を採用していた従来の大企業はこれから先の未来を舵取りしていけるかどうかすら危ういフェーズに入りつつある。本当に優秀な人材を採用しようとしている会社は学歴など気にもとめず中途で積極的に採用をしている。そんな中、大学時代の四年間をぼんやりと過ごしていた学生へのニーズは減少していくに違いない。

今や高校生ですら何万人というSNSフォロワーを獲得したり、クラウドファンディングで膨大な額の資金調達が可能となった時代である。そんな中、大学の価値は徐々に薄れていき、それが生徒側にも大学側にも少しずつ影響してくるのだろう。

これまで垂直統合型であった大学がこれからは水平統合型の時代へと突入していくと私は予想する。詳しくは次回のエントリーで書いていきたい。

競争において負ける確率を極限まで上げる方法

私は週末、女性との出会いを求めて街に繰り出すことが多い。

相席屋に行ったり、ストリートナンパをしたりと様々な出会いの場を利用している。

が、しかしまだ一度も成功(セックスをするところ)まで至ったことがない。僕は面白い話ができるわけではないし、イケメンでも金持ちでもないいわゆる売れ残りだ。しかし僕の敗因は僕のスペックが低いからではないと思っている。どんなにスペックが引くくても成功している人はどの業界にもいる。では何故僕が負けるのかというと僕は競争において負ける確率を極限まで上げる手段を選んでしまっているからである。

負ける確率を極限まで上げる方法は卑屈になることと自分を大切にしすぎることだと思う。

スポーツ選手にも上手くいっているビジネスマンにも卑屈な人間は基本的にいないと思っている。自分の短所を客観的に分析し、適切な解決策を導き出すという事は誰もがやっていることだが、自分は○○だから出来ないという理由探しをしている人が成功する可能性はゼロに近い。私の場合「俺コミュ力低いし、面白くないし」だとか「女性と話すのが苦手」だとか「イケメンじゃないし」という卑屈な考えで幾度となく女性の対象外ボックスに入れられてきた。卑屈になると何が危険かというと思考がそこで止まってしまうのだ。どうやったらコミュ力が上がるのか、どうしたら女性を楽しませられるのか、どうしたら女性から魅力的に映るのかという次の思考へのジャンプを怠った結果が「卑屈」であるということが分かった。卑屈になっている暇があったら改善策を探せということだ。

自分を大事にしすぎるというのもかなりよくない。自分を大事にしすぎると基本的に人間は安全圏内での行動に出てしまう。そこそこ働いていれば生きていける給料がもらえる大企業サラリーマンなんかはまさにこの典型だと思う。安定を愛し、資本主義における勝者を目指さず、敗者のままでも満足しているのであればこの生き方で全く問題はない。資本主義というのは基本的にトップ数%に富が集約していくという強者が市場のほとんどのパイを持っていくゲームである。上位数%とその下にはかなり大きなギャップが生まれてしまうという構造になるものである。恋愛市場においてもビジネスの世界においてもスポーツの世界においてもブログの世界においても全てこの構造は顕著だ。安全圏の外に出ない限り、僕らはその数%の旨みを享受することはできない。

以上競争において負ける確率を極限まで上げる方法について考察してきた。しかし私は必ずしも敗者になることが悪いことだとも思っていない。幸せの形は人それぞれである。上を目指せば傷つく可能性もあるし、どん底に引き落とされる可能性もある。トップ数%を狙ってもがき続けるのは大変なことだろうし、安全圏に留まるという選択をしている多くのサラリーマンは賢いのかもしれない。しかし一度きりの人生、他人と違うような生き方をしたいと思うのなら、安全圏を抜け出し、死ぬほど努力をするしかないのは確かである。

プラットフォーム事業における営業について

私は某プラットフォーム企業の営業部に所属している。営業とは行っても少し特殊で、プラットフォームへの掲載の勧誘のような営業である。その際に多々直面する問題がある。営業のKPIが掲載数なのか売り上げ金額なのかというで話だ。

 

結論から言うと私は売り上げ金額のみがKPIとなるべきだと思っている。掲載数を追いかけると誰も幸せにならない。営業側は数を伸ばすために需要がなさそうな場所でもひたすらに掲載を目指すため、時間と労力が割かれる。会社としてもサーバーが重くなりいいことがない。それに対して掲載側も稼働率が低いにもかかわらず、掲載の手続きで時間と労力を消費する。利用者側も質の低いプロダクトが増えることによって最適なプロダクトを選ぶのに手間がかかり、精度も落ちてしまいがち。

 

ただ初期のフェーズにおいてはとにかく数を増やすことも重要である。これだけの数のプロダクトを掲載しているんですよ!と言うのが営業の武器ともなる。しかしその一定のボーダーを超えた時点でやり方をシフトすべきである。

 

確かにプロダクトの質とクオリティを上げると言うのは結果が出るまでに時間がかかる。当初は成績が落ち込むことはあるが、それでも我慢が必要である。全てはプラットフォームを次のフェーズへ導くためだ。

 

と、ここまで見て来ると一つの悲しい現実が浮かんで来る。プラットフォームビジネスにおいて、サービスが成長するにつれて、営業部の存在意義は徐々に消えていく。そうなると人海戦術から少数精鋭の体制に転換する必要がある。(もちろん立ち上げ当初人海戦術をするほど従業員を増やすことすら難しいが。)例えばAirbnbやメルカリほどプラットフォームが強くなってしまえば掲載者が自ら登録をするようになるからだ。プラットフォームたるもの本来こうあるべきである。これからプラットフォームビジネスを始めようという方はここに意識して営業部の立ち位置を常に考えていてはどうだろうか。